四国九州3日目、学会2日目である。
2日目の会場は、徳島駅から車で30分ほどかかるホールだった。そもそもなぜ徳島で木簡学会が催されるかというと、観音寺遺跡という、国府(今でいう県庁)跡と思われる遺跡で、木簡をはじめとする遺物がたくさん見つかったからである(木簡とはなんぞや、という方は①参照)。
まず遺跡についての説明がなされ、次に文献史学の方面から総論的な話があり、最後に40分ほどのテーマ報告が3つあるという形だった。
ホールの近くにはレキシル徳島という博物館があり、学会で扱う木簡を展示してくれていた。
今回の大きなミッションは先生方、先輩方へのご挨拶であった。筆者は学年的に(おそらく年齢的にも)一番の若造になるので、機を見計らって声をかけ、名刺を交換し、あるいはお渡しした。優しく接していただけた。
名刺がわりに抜き刷り(自分の原稿が載った雑誌の、自原稿分のみ抜き出して刷ったもの)を渡している博士課程の先輩もいた。確かに、名前だけで、何をやっている人なのかよくわからない名刺よりは数倍良い(尤も、名前だけで何をやっている人なのかわかる人もいるが)。
ここで内容まで踏み込んで詳しく説明することは避けるが、徳島まで足を運んで良かったと思えた。
学会終わり
学会が終わったので、いつも良くしていただいている他大学の院生と3人で夕食に出かけた(そもそも東大生は筆者1人であった。夕食からハブられているわけではないので、念のため)。
向かったのは、JRビル地下の寿司屋。地元ネタの7貫盛りと、地酒「きらい」を頼んだ。辛口、淡麗の酒だった。寿司で言えば7貫のうち3貫が鯛で、鯛推しを強く感じた。鰤も肉厚で、とても美味しかった。
次に、先輩に阿波牛の肉寿司を食べさせてもらった。
〆に徳島ラーメンの店に向かった。初日とは別の店である。
今日は、前情報通り生卵にした。
そして最後に、夜しかやらない「有名連の踊り」が気になったので再び阿波おどり会館に向かった。
同じ轍は踏むまいと後ろの方の席に座ったが、司会のお姐さんがやる気に満ち溢れた方で、全員踊りに連行されてしまった。2回目はなんかもう、吹っ切れて踊ってしまった。
迷った末に結局本日中に高松に向かうことにしたので、「特急うずしお」に乗車した。鈍行の徳島→高松の終電は18:23(!)なので、特急課金せざるを得なかった。
写真でお気づきの方もいると思うが、なんと「ゆうゆうアンパンマン号」だった。
普通の車両はかなり古めなので、相当頑張ってリフォームしたんだろうと思う。詳しくはスーツ氏の動画参照。
筆者は頂いた抜き刷りを読んで、「ゆうゆう」な旅を過ごすことにする。
さて、高松に着いた、といいたいところだが、一つ前の駅、栗林(りつりん)に着く。
徳島でも高松でも泊まれるように宿は取っていないので快活頼みだったが、駅近の快活が満席だったので、少し遠い快活に向かった。駅から徒歩30分。
明日は朝からうどんを食べて、満足したら松山に向かう。