四国九州⑥

快活を出て、コメダでモーニングを食べた。大分県で社会人をしている日本史同期に、8:40頃に車で迎えに来てもらう。

まず向かったのは臼杵の石仏。削りやすい材質の石でできた崖を削って作った、「磨崖仏」である。

平安〜鎌倉頃の作というが、制作の意図等不明なところが多いという。同じ如来がいくつも並んでいるなど、あまり見ない像の並び方をしている。

中には、色が良く残っている像もある。

次に向かったのは亀塚古墳である。この地域の豪族、海部氏の首長を葬ったものと考えられ、復元整備がよくなされている。

4〜5世紀の築造で、前方後円墳。中央の葬送文化が九州地方にも伝わっていたことを示す好例である。

次に、市立博物館と国分寺跡に向かった。しかし、「月曜定休、ただし第一月曜は営業し翌日火曜日休み」という意味のわからないルールにより、休館日だった。

国分寺跡は見ることができる。

大講堂跡。

回廊跡。

中枢部には、国分寺という寺が建っている。七重塔跡に建つ観音堂

金堂跡に建つ薬師堂。

ところで、国分寺といえば近くに国府があるはずで、大分には「古国府」(ふるごう)という地名がある。しかし、国分寺と古国府は7kmほど離れている。さすがに離れすぎである。

あるいは、古国府といいながら、そこにあったのは郡家ではないだろうか。

大分駅近くで降ろしてもらい、東京に着いたら蕎麦屋呑みを奢る約束をして別れた。次に向かったのは府内城である。府内といえば、『日本史B』にも出てくる大友氏の城下町、豊後府内に他ならない。

残念ながら中枢部は駐車場になってしまっているが、堀や塀、天守台は残る。

大分駅に戻る道中に、「赤レンガ館」に寄った。国立銀行、二十三銀行の本店で、東京駅を手掛けた辰野金吾の設計。現在はカフェや大分の名産品を売る店となっている。

大分駅の屋上に登ってみた。「ぶんぶん堂」というサザエ堂があり、中には藪内佐斗司氏作の七福神がまつられている。

鉄道神社、というらしい。

博多に向かう。列車指定の安きっぷ、「早得3」ですでにソニックのチケットをとっている。一般の指定席が埋まっており、グリーン車しか空いていなかったが、それでも当日買う自由席と値段が大差なかったので、思い切ってグリーン車にしてみた。

1人席。自動リクライニング付き。先頭(最後)部には展望デッキが付いている。

椅子は快適だが、左右にガタガタ揺れて乗り心地は頗る悪い。

博多駅に着き、ひと足先に九州に行っていた早稲田の同期と夕食を食べる。

もつ鍋を食べた。

飲み物はあまおうチューハイを頼んだ。あまおうの味はよくわからない。翌日になってもすこし頭が痛いので、筆者はチューハイがあまり得意ではないかもしれない。