秋の奈良へ

11月の初週末には、相撲のインカレがある。東大相撲部にとっては一年納めの大会で、奇数年は大阪堺、偶数年は両国国技館で行われる。筆者の引退は2022年で国技館だったため、今年は堺である。

折角なので、前日に奈良に寄ることにした。早起きが苦手なので、夜行バスを利用する。f:id:koyama_jph:20231103185938j:image

一ヶ月前に仙台に向かって以来のバスタ新宿

f:id:koyama_jph:20231103190009j:image

最高級バス、DREAM sleeperにお目にかかれたが、残念ながら今回乗るバスはこれではない。

この日はほとんど疲れていないせいか、全然眠れなかった。

f:id:koyama_jph:20231103190116j:image

気づいたら大和八木駅に着いていた。寒い。「さららちゃん」という、少し目つきの悪い橿原市キャラクターが出迎えてくれた。「さらら」は持統天皇の名前、「鸕野讃良」に由来しているのだろう。1300年後に「さららちゃん」としてデフォルメされているとは夢にも思うまい。

f:id:koyama_jph:20231103190326j:image

朝食はミスドに入る。基本的に旅先で東京にもあるようなチェーン店には入りたくないのだが、ミスドは別。

さて、ミスドを出たのが7:30。薬師寺に向かおうとしたが、8:00開門かと思ったら8:30開門だった。別に薬師寺開門凸待ちをしてもいいのだが、折角奈良に来てそれは味気ないので、橿原神宮に寄ることにした。

橿原神宮

f:id:koyama_jph:20231103190535j:image

橿原神宮は明治期創建の神社で、神武天皇を祀る。

f:id:koyama_jph:20231103190607j:image

どこかの球団マスコットにいそうなマスコットキャラクターがいた。可愛い。

薬師寺

f:id:koyama_jph:20231103190645j:image

さて、薬師寺に着く。今回の奈良は、正倉院展秘仏巡りが大きな目的であった。奈良の秋といえばやはり秘仏である。「祈りの回廊」がまとめページを作っているので、奈良に行かれる際にはぜひご参照いただきたい。2023年12月|秘宝・秘仏 特別開帳|祈りの回廊 [奈良県 秘宝・秘仏特別開帳]

薬師寺では、秘仏ではないが、東塔(上写真の右側)落慶を記念して、五重塔の初層が公開されている。五重塔の初層には、釈迦の生涯を描いた像国宝 東塔落慶記念 - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Siteが鎮座している。完全に不定期公開で、生きているうちに見られるかわからないものだったので巡り合わせに感謝としか言いようがない。

他の伽藍は半年前の前回3/10 古代を訪ねる旅③薬師寺、唐招提寺、東大寺、平城宮 - koyama_jphの日記見ているので、特には追加で述べることはしない。

さて、玄裝三蔵院伽藍を歩いていた時、母親と2人で歩く、未就学くらいの男の子がいた。すれ違おうとする時、男の子が、「あ、チョコフォンデュがある!」とはしゃいだ。薬師寺にチョコフォンデュなんかあるわけなかろうと思って男の子の指さす方向を見ると、

f:id:koyama_jph:20231103191539j:image

百万塔だった。吹き出しかけた。別に未就学児に百万塔を知っていろというつもりはさらさらないので、知識不足を笑っている訳ではない。これを見てチョコフォンデュを連想する想像力の豊かさに、感嘆すら覚えたのである。百万塔がチョコフォンデュに似ているなんて思ったこともなかったが、確かに似ている。そんな薬師寺のひと時であった。

参考:チョコフォンデュ

f:id:koyama_jph:20231103222243j:image

平城宮

f:id:koyama_jph:20231103191831j:image

次は平城宮に向かった。資料館で特別展をやっていたためである。特別展を見た後は、宮跡を一通り回った。

平城宮はとてつもなく広い。まずは大極殿に向かう。

f:id:koyama_jph:20231103192005j:image

大極殿は、天皇が臣下や外国の前に姿を表す、国家で最も重要な建物である。

f:id:koyama_jph:20231103192119j:image

大極殿の前には門と楼閣がある。門はすでに復元済み、東楼の建設に取り掛かっていた。

続いて、宮の正門である「朱雀門」付近に集中する観光施設ホーム - 平城宮跡歴史公園 朱雀門ひろばを巡る。これがかなりちゃんとしている。

まず、お腹が空いたので「天平うまし館」に向かった。以前そこで柿の葉寿司と三輪そうめんを食べたためである。

しかし、奈良の料理を出す店はすでになく、イタリアンに変わってしまっていた。

f:id:koyama_jph:20231103192534j:image

観光地価格でイタリアンを食べる気にはならなかったので、らほつ饅頭という饅頭を買った。普通に考えてお土産用なので、袋いりませんと言ったら驚かれた。

平城宮いざない館は、ジオラマや再現をふんだんに駆使したガイダンス施設。子供が歴史好きになってくれそうな施設なので、個人的にはかなり気に入っている。

f:id:koyama_jph:20231103192742j:image

天平みはらし館は、シアター上映をしている。

f:id:koyama_jph:20231103193022j:image

もうすでに全部見たことがあるので、今回は「平城京 はじまりの都」を観た。構成と映像が素晴らしいので、毎回泣きそうになる。

f:id:koyama_jph:20231103193130j:image

また北に向かい、もう一つの中央区画、「東区」に来た。平城宮には2つの中央区画がある。ここまでで2時間ほど宮の中を歩き回っている。

法華寺

f:id:koyama_jph:20231103193346j:image

平城宮を少し離れると法華寺がある。ここが次の目的地である。これは総国分尼寺で、本来は東大寺と並ぶ大寺院であるが、今は住宅街の中に静かに佇んでいる。

ここには、国宝の十一面観音がある。

⑤海龍王

f:id:koyama_jph:20231103193650j:image

次に、海龍王寺(隅寺)に向かう。平城宮の隅であることからそう呼ばれ、ここにも優美な十一面観音像がある。

東大寺

次は東大寺に向かった。

f:id:koyama_jph:20231103193751j:image

コロナ禍と比べると随分と鹿が太っている。

大仏殿には寄らずに、法華堂に向かう。秘仏の「良弁僧正坐像」が法華堂で公開されているからだ。本来年に1日しか公開されないが、1250年遠忌ということで、論議台(経を講釈する立場の僧が座る台)の上に座った状態で公開される。

f:id:koyama_jph:20231103222610j:image

法華堂に寄った後は二月堂に向かう。二月堂は、絶対秘仏の十一面観音像を祀る堂。厨子の中に入っているのではなく、内陣全体が幕に覆われており、全く中の様子を窺い知ることができない。

f:id:koyama_jph:20231103222747j:image

絶対に答えに辿り着くことはないのだが、東大寺で1番好きな場所である。

興福寺

続いて向かったのは興福寺である。興福寺では、北円堂の特別公開がある。北円堂には運慶作の弥勒如来像、無著・世親(高僧)像などが安置される。

f:id:koyama_jph:20231103223300j:image

興福寺は他にも、南円堂の不空羂索観音像、三重塔初層など、まだ見ぬ秘仏がある。

帰り際に国宝館に寄った。

f:id:koyama_jph:20231103223529j:image

阿修羅はきれいだが、やはり食堂本尊の十一面観音像の方が個人的には好みである。

正倉院展

この時点で相当疲れているが、1番の目的、正倉院展に向かった。

f:id:koyama_jph:20231103223649j:image

筆者の関心は文書なので、もっぱら文書や文書に捺された印を見ていた。人の動きを見ていると、なかなか宝物の前で動かない人が多いことに驚く。筆者は別に美術に関する知識もないし、「きれいだ」ということさえ認識すれば3秒見ても10秒見ても同じだと思ってしまうので、奥からちょっと覗くくらいである。

聖武天皇の袈裟や、調として納められた布はすごかった。

 

大会は大阪なので、大阪に向かう。筆者はヤクルト・オリックスファンなので近鉄大阪近鉄バファローズ - WikipediaでもJR東京ヤクルトスワローズ - Wikipediaでもどちらでもいいのだが、JRの方が安かったのでJR奈良駅に向かう。

道中でたこ焼きを食べる。

f:id:koyama_jph:20231103224234j:image

おいしかった。座って食べられそうなところを探したので有名店ではないと思うが、有名店信仰は特にない芹沢達也 - アニヲタWiki(仮) - atwiki(アットウィキ)(たこ焼きはだいたい美味しい)ので、気にしない。

明日は大会。みんながんばれ〜

四国九州⑧

福岡2日目。前日は行けなかった場所に向かう。

まずは、大宰府政庁の跡である。大宰府は、中国・朝鮮と接する外交上の要衝である九州を統括するためにおかれた機関で、「遠の朝廷」とも呼ばれた。その名に違わず、都と同様の条坊制が敷かれている。

ただし、その壮麗な姿も残念ながら今は見る影もない。正門前の道が「朱雀大路」と呼ばれているくらいか(写真は朱雀大路にかかる朱雀大橋)。

しかし、工夫はなされている。文化庁の事業の一つとして、太宰府VRアプリというものが存在する。

VRで出現した大宰府と、現在との比較はこんな感じ。

次に向かったのは、観世音寺である。九州の仏教美術の宝庫として名高い。

こちらもアプリの対象なので、比較が可能。

観世音寺の見どころは6mほどの観音立像である。京都奈良以外で、これほど巨大な像を複数見られるところはないだろう。

観世音寺から歩くこと20分ほど、大宰府駅に着く。大宰府駅というなら大宰府政庁遺跡の近くに設置して欲しいものだが、こちらは同じ大宰府でも太宰府天満宮である。

太宰府天満宮の参道には梅が枝餅の店が多くある。これまであまりに飲食店がなさすぎたので、梅が枝餅のセットを頼んだ。

太宰府天満宮は仮殿になっていた。

次に、天満宮に隣接する九州国立博物館に向かう。天満宮からエスカレーターが出ている。

近代的な建物。

九州の特徴でもある石人を見ることができた。臼杵磨崖仏同様、九州の石は削りやすいので石の加工品が多いのだという。

遣唐使船の再現。

照明の効果や展示物の置き方、再現展示の数に気合いを感じた。東博の常設展より九博のほうが好みである(東博の建物が古いゆえの制約もあるかもしれないが…)。

メキシコ展。東博の方に行っていないことを思い出して調べると、会期が終わってしまっていた…

やなり梅が枝餅1つではHPが持たなかったので、餅を追加補給しながらラーメン屋に向かった。

まあまあ通り道なので、水城に行ってきた。水城とは、巨大な堤のことである。唐や新羅が上陸して攻めてきた時のために、防壁にするために築かれた。

だめだ、森にしか見えない。大宰府併設の展示館や九博で水城のことは学べたので、まあいいだろう。

ここで本日の観光を終え、宿に向かったが、台風の影響で、9/8に予約している便が飛ばない可能性が出てきた。

よって、急遽7日夜の便に振り替えることにした。一泊や景色はもったいないが仕方ない。帰りの羽田でやろうと思っていたことが全てフラグになってしまった。

急なことだったので、通路側の席しか取れなかった。

しかし行きとは違ってモニターが付いており、飛行機のライブ映像を見ることができた。

コンテンツを選ぶこともできた。

JAL名人会を選ぶ。

7日中に福岡を離れると決めてから5時間足らずで東京に着いてしまった。飛行機速すぎる。

8泊9日、自分史上最長の旅は、なぜか7泊8日となって幕を下ろしたのだった。

四国九州⑦

ついに旅も7日目に入った。

7日目最初に向かったのは、福岡市立博物館。ここの目当ては、「漢委奴国王」の金印だ。西新駅で降り、館に向かう。

金印は最初の部屋にあった。金印のためだけの部屋である。そこそこ広い、黒い壁の部屋の真ん中に、10円玉などの大きさの金印が鎮座している。

金印の下に鏡が置いてあり、印様も確認することができた。

体験コーナーや再現展示が充実している。

西鉄ライオンズの展示もあった。博物館で野球チームが特集されるのも珍しい気がする。

野球といえば、ということで徒歩10分ほどの場所にあるpaypayドームに向かった。博多滞在中、paypayドームでプロ野球はやってはいるが、ソフトバンク×ロッテなので見に行くことはしない。

続いて、福岡城にある鴻臚館跡に向かう。鴻臚館は古代の迎賓館である。福岡城と被っているのは、時代を通して重要な建物が置かれる様な良い立地、ということだろう。

奥に見える建物は遺構保存館で、礎石や基壇、柱穴の様子を見せている。

福岡城松山城が面白すぎて他がどうしても霞んで見える。

駅にてラーメンを5分でかき込み、電車に乗る。目的地は宗像大社のある、東郷駅である。

宗像大社は、巨岩などを神聖なものとする原始的な祭祀の場所として貴重で、かつ半島や大陸への海上ルートと被るために国家から崇敬されてきたことで有名になっている。

もともと3面あったようだ。2番線は写真右の通り線路が撤去され、2,3番線ホームの2番線側に柵がある。現在は、(左から)1番線、3番線の2面しかない。なぜだろうか。

バスに10分ほど揺られると、宗像大社辺津(へつ)宮に着く。宗像大社では3柱の女神(田心姫たごりひめ神、湍津姫たぎつひめ神、市杵島姫いちきしまひめ神)を祀る。それぞれが沖津宮中津宮辺津宮にあたる。

沖津宮は「神宿る島」沖ノ島に存在し、一般人は、年に一度の機会を除いて立ち入ることはできない。沖ノ島には、

・女人禁制

・一木一草一石たりとも持ち出してはならない

・島で見たことを他言してはならない

という掟がある。神職が10日ごとの交代制で駐在しているという。

中津宮は九州本土から近い有人島、大島に存在する。ここは神湊という港から、お金を払えば誰でも行くことができる。

そして辺津宮は、唯一本土にある宮である。

神宝館という博物館があった。外見から、ガラスケースに物を陳列しただけの博物館かと思っていたがそうではない。照明が工夫され、説明も充実した近代的な博物館だった。

ただ、狛犬背面に刻まれた文字に関する解説で、「宗像第三御前宝前」とあるところを、「宗像第三宮御宝前」と翻刻していたのが引っかかった。アンケートに書いて判断を仰ごうかと思ったがアンケートがなかったし、わざわざ受付のおじさんに指摘するのも痛いので特に何もしなかった。同じような思いで帰る人がいままで何人かいたと思う。

ところで、神宝館に展示してある沖ノ島の宝は持ってきてよかったのだろうか?人間が勝手に持ち込んだものを人間が持ち帰るのはまあOKなのかな、と解釈して納得することにした。そもそも、「沖ノ島写真集!」なんてものが出ている時点で「不言様」(おいわずさま)の掟に反しているのだし。

ごく近くに、「海の道むなかた館」という施設がある。これはあまり堅苦しくない施設で、対象年齢が幅広くなっている。

またVRがあった。子供向けだが、禁足地の沖ノ島を自由に探索できるのは正直楽しい。

メインの部屋には巨大なスクリーンがあり、展示はスクリーンを囲む形で存在する。来訪者が筆者だけという時間も多かったので、好きな映像を選ばせてくれた。

博多駅に着くと、変なところに着いた。よく見ると、「ななつ星」のラウンジだった。「ななつ星」は英訳すると「セブンスター」なので、タバコっぽくて微妙な気がする。

昨日と同じ店で、ゴマサバとブリ丼を食べた。旅行先の美味しいものには金を惜しまない方がよい、というのが信条。

ジョッキビールでなく瓶ビールなのは、研究室が恋しくなっているのかもしれない。

四国九州⑥

快活を出て、コメダでモーニングを食べた。大分県で社会人をしている日本史同期に、8:40頃に車で迎えに来てもらう。

まず向かったのは臼杵の石仏。削りやすい材質の石でできた崖を削って作った、「磨崖仏」である。

平安〜鎌倉頃の作というが、制作の意図等不明なところが多いという。同じ如来がいくつも並んでいるなど、あまり見ない像の並び方をしている。

中には、色が良く残っている像もある。

次に向かったのは亀塚古墳である。この地域の豪族、海部氏の首長を葬ったものと考えられ、復元整備がよくなされている。

4〜5世紀の築造で、前方後円墳。中央の葬送文化が九州地方にも伝わっていたことを示す好例である。

次に、市立博物館と国分寺跡に向かった。しかし、「月曜定休、ただし第一月曜は営業し翌日火曜日休み」という意味のわからないルールにより、休館日だった。

国分寺跡は見ることができる。

大講堂跡。

回廊跡。

中枢部には、国分寺という寺が建っている。七重塔跡に建つ観音堂

金堂跡に建つ薬師堂。

ところで、国分寺といえば近くに国府があるはずで、大分には「古国府」(ふるごう)という地名がある。しかし、国分寺と古国府は7kmほど離れている。さすがに離れすぎである。

あるいは、古国府といいながら、そこにあったのは郡家ではないだろうか。

大分駅近くで降ろしてもらい、東京に着いたら蕎麦屋呑みを奢る約束をして別れた。次に向かったのは府内城である。府内といえば、『日本史B』にも出てくる大友氏の城下町、豊後府内に他ならない。

残念ながら中枢部は駐車場になってしまっているが、堀や塀、天守台は残る。

大分駅に戻る道中に、「赤レンガ館」に寄った。国立銀行、二十三銀行の本店で、東京駅を手掛けた辰野金吾の設計。現在はカフェや大分の名産品を売る店となっている。

大分駅の屋上に登ってみた。「ぶんぶん堂」というサザエ堂があり、中には藪内佐斗司氏作の七福神がまつられている。

鉄道神社、というらしい。

博多に向かう。列車指定の安きっぷ、「早得3」ですでにソニックのチケットをとっている。一般の指定席が埋まっており、グリーン車しか空いていなかったが、それでも当日買う自由席と値段が大差なかったので、思い切ってグリーン車にしてみた。

1人席。自動リクライニング付き。先頭(最後)部には展望デッキが付いている。

椅子は快適だが、左右にガタガタ揺れて乗り心地は頗る悪い。

博多駅に着き、ひと足先に九州に行っていた早稲田の同期と夕食を食べる。

もつ鍋を食べた。

飲み物はあまおうチューハイを頼んだ。あまおうの味はよくわからない。翌日になってもすこし頭が痛いので、筆者はチューハイがあまり得意ではないかもしれない。

 

四国九州⑤

今日は特に観光地ミッションはない。大分に着けばそれでよい。

二の丸庭園が気になったので、再び松山城に向かった。

ロープウェイで登り、再び城を見学した後、徒歩で城を降りる。

二の丸には平らな土地が多く確保できるため、大きな屋敷がある。

さすがに残っていないが、建物配置を池で再現していた。スズメバチがおり、何度も逃げ回った。

真ん中に大きな穴が空いており、何かと思えば大井戸だという。

城下の公園は城山公園という。たしかに城の山には違いない。長野市にも、善光寺の隣に城山公園、城山小学校がある。これは、横山城という城がかつてあったことに基づくのだろう。

城山公園の美術館で海洋堂展をやっていたので入ってみた。海洋堂はもともとプラモ屋だったのが、一代で造形メーカーになったのだという。

仏像フィギュア。

とあるのフィギュア。

11:41発の八幡浜行きに乗る。「愛ある伊予灘線」沿線の下灘駅を見てみたかったためだ。どこに愛があるのかはよくわからないが。

またしてもアンパンマン列車に出会ってしまった。

プロ野球にも使われることがある、坊っちゃんドーム。

灘駅停車時の車窓。乗客の8割くらいがここで降りて行った。当初下灘を経由するつもりなく切符を買ったので、降りることができない。ホームは線路(単線)の山側にあるので、車内からはホームを含んだ構図の写真を撮ることができない。

八幡浜に着いた。港まで2キロあるのでバスを使おうと思っていたが、接続が良すぎるらしく、駅を見てまわっていたらすでに発車していた。

歩きを余儀なくされたので歩いていると、地元のスーパーがあった。筆者は地元のスーパーが好きである。それぞれの風土が現れるためだ。八幡浜産の聞いたことのない魚が並んでおり、大変面白かった。

港に着くと、マルシェに100種類くらいのみかんジュースが置いてあったので9本買い、自宅に発送した。

港に到着すると20分後に船が出るとのことだったので、2等の乗船券(3200円)を買い、乗り込んだ。中はかなりゴージャスで、2等でも十分満足だった。

これらすべて2等客室である。十分すぎる。

筆者は下から2番目のタイプのスペースを利用した。

誰も乗ってこなかった。

ふと、ここでストリートビューを使ったらどうなるか気になった。

「ここから船で何分かかるか」表示してくれているようだ。海の上を歩けと言われるかと思ったが、さすがGoogle

2時間強で臼杵港に着いた。

臼杵駅まで歩いていると、城址があったので寄った。

臼杵城らしい。すごいところに建っている。

みるみる暗くなってしまった。臼杵駅には磨崖仏のレプリカがある。

30分後まで電車が来ないということで待っていると、隣の臼杵高校の生徒だろうか、高校生がたくさんやって来た。多くが1駅2駅で降りて行った。

高校生の電車通学は知らない世界だ…

大分駅に着いたので、大分名物の鶏天と団子汁を食した。

スーパーみたいなものが併設されており、すでに寿司が半額だったので、好物のカンパチ握りを購入した。…昔は寿司だった。これはレジ袋の形状が悪い。

快活に着いた。シャワーはあるが、タオルが購入制だった。筆者のようにタオルを持っていない客はタオルを持ち歩けない事情があるので、せめてレンタルにして欲しい。

明日はブログの師匠に大分を案内してもらう。

四国九州④

高松

4日目。高松市から始まる。

7:50ころに快活を出て、近隣のうどん店に向かった。

コンビニのような味気ない見た目だが、入った瞬間生地をこねている光景が目に飛び込み期待値が上がる。

冷かけを注文した。表面がなめらか、生地がもちもちで、食べ進めても食べ進めても終わらない気がする。麺は細め。空腹のはずだが、一杯でかなり満足した。

私鉄に乗り、2軒目に向かう。ここは明太釜玉バターうどんが名物らしいが、朝からそんなものは入らない。

冷ぶっかけを頼む。レモン付き。これも先ほどの店と同様、滑らか、もちもちでかなり腹が膨れた。とはいえ個人的には、もう少し潔く噛み切れる方が好みである。

松山には行列店もあるが、おそらく平均レベルが高いのでどこでも満足できるだろう。ラーメンハゲの言が思い出される。

腹ごなしに、高松城に向かった。徳川光圀の子、松平頼常が藩主だった時期もあり、「水戸黄門」には松山を目的地とするシーズンも存在する。

それでも大して腹は減らなかったので、特急「いしづち」(右)に乗って松山に向かった。またアンパンマン列車に遭遇した。混みあうかなと思ったら全くそんなことはなかった。

昨日のうずしおより新しく、コンセントやフットレストがあった。

海沿いを走るため、とてもきれい。対岸は本州か。

松山

愛媛なのでみかんジュースを飲む。

松山市には路面電車が走っており、駅や道後温泉を結ぶ。細かく移動しそうだったので、一日券を買った。

1日券は5回乗れば元がとれる上に、なんと松山市駅前三越で運行する観覧車の券も付いてくる。せっかくなので、観覧車は苦手だが乗ってみた。

怖い。怖すぎる。奥に見えるのは、これから向かう松山城である。透けている観覧車もあるが、よく乗れるものだと思う。急に地震が起きる想像ばかりしてしまった。

一度宿にチェックインし、松山城に向かった。松山城平山城で、標高130mほどの山の上に建つ。ロープウェイとリフトがあり、選べる。行きはロープウェイを選んだ。

ロープウェイから降りると、石垣が聳え立つ。ここからチケット売り場まで10分ほど歩いたが、見どころはたくさんあった。

山の上からの景色。

天守は珍しい四角形になっており、入ろうとした敵を四方から挟み撃ちにすることができる。

そして、なんと天守松山城VRがあった。松山城を攻めたらどこでやられるのか、など面白い映像だった。阿波踊りVRと合わせると、この松山城VRが人生2回目のVR体験となる。

帰りはリフトで降りる。

松山城から降りると17時くらいになったので、道後温泉に向かう。路面電車の終着駅になっている。

みかんジュースの飲み比べと、清見ジェラートを楽しんだ。

よーし、道後温泉本館に向かうぞ!と思ったら、なんと整理券を配っていた。18:00時点では19:00からしか入れないということだった。予定を変えてまずは飛鳥乃湯泉に入ることとし、20時の整理券をもらった。

温泉街の終着点にドンと建っているのかと思っていたら、少し外れたところにあり歩道も狭い(写真は車道を挟んだ反対側から撮っている)。

さらに工事中で、「坊ちゃん」にも出てくる休憩スペースは利用できなかった。

予定を変えて向かったのは「飛鳥乃湯泉」である。これは新しい建物で、坊ちゃんではなく、飛鳥時代聖徳太子が訪れたことに由来する。ここでは休憩室を利用することができる。

休憩室を利用する際の動きを説明しよう。まず一階でチケットを買い受付に提示すると、風呂の前に2階に案内される。2階は大広間で、こんな感じの盆と座布団が並んでいる。

浴衣が渡され、荷物(貴重品を除く)を2階に置いて風呂に入ってくるように案内を受ける。

入浴を終えると、茶と茶菓子が出てきた。よく冷えた冷茶でありがたい(おかわり自由)。

持って来た「坊っちゃん」を少し読み、19:20くらいに施設を出た。坊っちゃん団子を食べ、「坊っちゃんからくり時計」に向かう。

動画で見せられないのが残念だが、時計自体がせり上がり、盤面が反転して、坊っちゃんの登場人物をイメージした人形が踊る。なかなかシュールな光景だったが、面白かった。

風呂上がりのビール。「坊っちゃんビール」をテイクアウトした。どの辺りが坊っちゃんなのかよくわからないが、湯上がりに飲むビールは美味い。

坊っちゃんについて

坊っちゃんは筆者が好きな小説で、いままで十何回(何十回?)も読んでいる。数年前に二宮和也主演でドラマ化もしたが、これも名作である。キャスティングは以下。

坊っちゃん二宮和也

山嵐古田新太

赤シャツ(教頭):及川光博

野だいこ:八嶋智人

狸(校長):岸辺一徳

うらなり:山本耕史

マドンナ:松嶋菜々子

ただ、小説とドラマでは大きく内容が異なる。以下は、小説、ドラマ双方を見た方でないとよくわからないと思うので、見たことがない方や、これから見る予定でネタバレを食らいたくない方ははここでページを閉じてもらえればと思う。

原作の「坊っちゃん」は、端的に言えば、問題が何も解決していない。最後闇討ちのような形で赤シャツと野だいこをぶん殴り、

下女に巡査は来ないかと聞いたら参りませんと答えた。「赤シャツも野だも訴えなかったなあ」と二人は大きに笑った。

で終わりである。赤シャツがうらなりの婚約者(マドンナ)を奪って延岡に飛ばした話とか、いたずらばかりして反省しない生徒の話はその後触れられない。赤シャツはマドンナと結婚したのだろうし、学生もあのままだろう。悪役である2人は、主人公2人の奇襲(犯罪)でしか罰を受けていない。というか主人公側が暴行罪なのだから、もはや罰ではない。

一方、ドラマ版は違う。学生は「坊っちゃん」に心を動かされ、それを見た野だいこは赤シャツに愛想を尽かし、マドンナはうらなりと駆け落ちをする。そして赤シャツは、他の先生の前で一発殴られる。坊っちゃんが赤シャツを殴るシーンとマドンナが駆け落ちするシーンがうまく編集されており、「一瞬で色々と失った赤シャツ」を強調している。ちなみに、赤シャツは帝大文学部卒なので筆者の先輩にあたる。

原作よりドラマの方が多元的で、起承転結が明確になっている。一方ドラマより原作の方が、「良いところもあるが悪いところもある」というような描写が多く、単純な勧善懲悪で終わらない奥深さがある。

どちらが良いのか、どちらが好きか、という話だが、結局どちらも好きである。ただ、ドラマのストーリーを小説にしたり、小説をそのままドラマにするとあまり面白くないような気がする。放送当時は賛否あったかもしれないが、ドラマに応じたアレンジという点では、大成功しているドラマだと思う。

今後実写化が行われる際は、そういったアレンジの工夫にも目を向けて楽しんでみたいものである。

四国九州③

四国九州3日目、学会2日目である。

2日目の会場は、徳島駅から車で30分ほどかかるホールだった。そもそもなぜ徳島で木簡学会が催されるかというと、観音寺遺跡という、国府(今でいう県庁)跡と思われる遺跡で、木簡をはじめとする遺物がたくさん見つかったからである(木簡とはなんぞや、という方は①参照)。

まず遺跡についての説明がなされ、次に文献史学の方面から総論的な話があり、最後に40分ほどのテーマ報告が3つあるという形だった。

ホールの近くにはレキシル徳島という博物館があり、学会で扱う木簡を展示してくれていた。

文化財をかたどった日時計

今回の大きなミッションは先生方、先輩方へのご挨拶であった。筆者は学年的に(おそらく年齢的にも)一番の若造になるので、機を見計らって声をかけ、名刺を交換し、あるいはお渡しした。優しく接していただけた。

名刺がわりに抜き刷り(自分の原稿が載った雑誌の、自原稿分のみ抜き出して刷ったもの)を渡している博士課程の先輩もいた。確かに、名前だけで、何をやっている人なのかよくわからない名刺よりは数倍良い(尤も、名前だけで何をやっている人なのかわかる人もいるが)。

ここで内容まで踏み込んで詳しく説明することは避けるが、徳島まで足を運んで良かったと思えた。

学会終わり

学会が終わったので、いつも良くしていただいている他大学の院生と3人で夕食に出かけた(そもそも東大生は筆者1人であった。夕食からハブられているわけではないので、念のため)。

向かったのは、JRビル地下の寿司屋。地元ネタの7貫盛りと、地酒「きらい」を頼んだ。辛口、淡麗の酒だった。寿司で言えば7貫のうち3貫が鯛で、鯛推しを強く感じた。鰤も肉厚で、とても美味しかった。

次に、先輩に阿波牛の肉寿司を食べさせてもらった。

〆に徳島ラーメンの店に向かった。初日とは別の店である。

今日は、前情報通り生卵にした。

そして最後に、夜しかやらない「有名連の踊り」が気になったので再び阿波おどり会館に向かった。

 

同じ轍は踏むまいと後ろの方の席に座ったが、司会のお姐さんがやる気に満ち溢れた方で、全員踊りに連行されてしまった。2回目はなんかもう、吹っ切れて踊ってしまった。

迷った末に結局本日中に高松に向かうことにしたので、「特急うずしお」に乗車した。鈍行の徳島→高松の終電は18:23(!)なので、特急課金せざるを得なかった。

写真でお気づきの方もいると思うが、なんと「ゆうゆうアンパンマン号」だった。

普通の車両はかなり古めなので、相当頑張ってリフォームしたんだろうと思う。詳しくはスーツ氏の動画参照。

筆者は頂いた抜き刷りを読んで、「ゆうゆう」な旅を過ごすことにする。

さて、高松に着いた、といいたいところだが、一つ前の駅、栗林(りつりん)に着く。

徳島でも高松でも泊まれるように宿は取っていないので快活頼みだったが、駅近の快活が満席だったので、少し遠い快活に向かった。駅から徒歩30分。

明日は朝からうどんを食べて、満足したら松山に向かう。