少し前の話だが、上野に行ってきた。大安寺展と東福寺展を見るためである。大安寺は本館にある特集展示で追加料金は不要、東福寺は平成館の特別展でキャンパスメンバーズは1100円が必要である。
東福寺展は会期が十分あるのでもっと遅く行ってもいいのだが、大安寺展がこの日までであった。さらに桜が咲くと、上野が渋谷並みに不快な場所になってしまうためこの日に行ってしまうことにした。
窓口でチケットを購入し、平成館に向かう。森鴎外の写真があるのだが、いつも笑ってしまう(なぜ笑ってしまうのかわかるのは、この世界で10人もいないだろうが)。
東福寺は九条道家が創建した禅寺である。奈良の大寺院、東大寺と興福寺の名を取っており、その名に恥じぬ大伽藍である。禅寺はあまり仏像もないし、どうしても中世以降なので筆者の守備範囲外である。勉強のつもりで特別展に臨む。
前半は肖像画や袈裟、東福寺の代名詞とも言える五百羅漢図が展示されていた。が、正直筆者は絵画とか文書がよくわからないので、すぐ後半に移った。明兆は教科書で見た気がする。
後半に行くと、東福寺の橋が再現されていた。紅葉で有名らしい。こういう演出は好きである。
最後の部屋が、やっと仏像の部屋だった。仏堂内部の配置をできるだけ再現している。以前延暦寺展に行ったときは根本中堂の須弥壇を再現していたし、唐招提寺展では金堂内部を再現していたと聞く。博物館において仏像を展示する際、美術品として展示するのはもちろんだが、できるかぎり、それがどのような空間に安置されているのかな再現もしてほしい。仏像は、そうしたバックグラウンドがあってこそ面白いものだと思うからである。(美術館で展示されていた仏像をわざわざ現地に足を運んで再び見に行った変人より)
さて、東福寺の本尊は明治に焼け落ちたらしく、一部が残っている。従ってこの等身大くらいの仏像は本尊ではない。本尊の光背に付いている化仏である。ということは、本尊はバカでかいということになる。
本尊の手がこれである。さすが東大寺と興福寺から名を取っただけある。7mほどある坐像だったらしい。
他にも巨大な像や絵がたくさんあった。「圧倒的スケール!」の謳い文句に間違いはなかった。
ちなみに、東京国立博物館は『半澤直樹』などのロケ地に使われた。ご丁寧にロケ地mapなるものも用意されている。
平成館には考古展示室というのもある。さすが東京国立博物館というだけあり、今回は有名な、青森の遮光器土偶が展示されていた。
高校日本史最重要史料である、江田船山古墳大刀もここに展示されている。
大安寺展。大安寺は大官大寺とも呼ばれる国家の寺で、日本最古級の寺院である。善光寺くらい古い。善光寺は地方寺院の割に日本トップレベルに古くて建物もデカいので、長野市民は感覚がバグりがちである。奈良時代の仏像は、何を考えてるのかよくわからない、のほほんとした顔をしているので好きである。
次は法隆寺宝物館である。明治時代、廃仏毀釈等による財政窮乏の折に、国からの見返りの金をあてにして法隆寺が皇室に献納した宝物がここに収められている。多数の仏教建築や仏教美術を毀損した廃仏毀釈は嫌いだが、法隆寺の宝物の一部を東京で見ることができているのは喜ばしいことである。
そんな中で、気になるのはこの仏像である。朝鮮半島の像だが、善光寺の前立本尊によく似た一光三尊像である。形式だけではない。印相、台座といった細部もよく似ている。違うのは、脇侍に独立した光背が付いていることくらいだろうか。同じ一光三尊像は東洋館の石仏にも確認でき、朝鮮半島における1つのトレンドであったのだろう。従って、善光寺本尊が朝鮮半島から渡ってきたという説にも信憑性が生まれる。なんとなく置かれているこの像が、絶対秘仏として全国の崇敬を集めた善光寺本尊の姿を最も正しく現代の我々に伝えているのかもしれない。
この点は東京国立博物館も指摘している。https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2011/05/28/本館11室と3室で善光寺本尊について考える/
善光寺の本尊自体は拝することは叶わないが、お朝事のごく短い時間、戸張が開いて宮殿の扉も開き、厨子を拝することができる。先日参拝してよく見てきたが、恐らく扉のない厨子であった。東大寺二月堂の小観音と同じで、開けることをそもそも想定していない厨子である。信仰心より好奇心が勝つ人間なので恐縮だが、いつか寺の経営が傾いたら金策として本尊ご開帳を敢行してくれないだろうか。
ところで、ご開帳の「開帳」とは文字通り戸帳(を主とする布)を開けて隠されたものを公開することであり、この世のほとんどの「ご開帳」は実際のところ「ご開扉」が正しいのではなかろうかと思った。
中2階には「デジタル法隆寺宝物館」があった。聖徳太子絵伝を常時、至近距離で拝観できるためにデジタルデータとして取り込んだらしい。博物館の新しい形を示すコーナーである。
上野駅公園口。気づいたら横断歩道が無くなっていた。
上野駅の終着駅としての面を示すホームである。「上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中」という一節が有名であるが、現在は新青森駅があるので夜行列車に乗る必要はない。昔は特急列車が最速の移動手段だったが、それでも新幹線の倍以上の時間がかかっただろう。
上は、石川啄木の「あゝ上野駅」碑である。先日のダイヤ改正の際、引退する「草津」の車両を撮るためにこの碑に登った鉄道ファンがいたらしい。危険なだけでなく、上野駅の歴史的経緯を理解していないことを曝したに等しい。鉄道の歴史に興味がないまま鉄道の写真を撮っている鉄道ファンもいるのだなと悲しい気持ちになった。そもそも通常運行もラストランも車両自体は同じなのだから数日前に撮っておけばいいのに。
さて、現在はどうしても地球が狭くなり、海外ですら「また来ればいいよね!」となりがちであるが、昔は国内旅行でさえ「一生に一度の…」だったのである。18きっぷ旅をすると、それがよくわかる。不便を好むわけではないが、たまには不便を知ることも大切であろう。というか新幹線は速すぎるので特急くらいがちょうどいい。
今度「ぷらっとこだま」でも使ってみようかと思う。