3/11 古代を訪ねる旅④ 大神神社からの帰宅

続きです。

今日は大神神社に寄ってから帰るつもりなので、まずJR畝傍(うねび)駅に行った。畝傍は畝傍山の畝傍で、畝傍山、香具山、耳成山大和三山と呼ばれる。その三山に囲まれるように建てられたのが藤原宮である。

この畝傍駅神武天皇を祀る橿原神宮の最寄駅ということで、貴賓室が設けられていた。しかし最寄とはJRの中での話。近鉄橿原神宮前という駅ができてしまったため、近年皇族が橿原神宮に参拝する際は、専ら京都駅から近鉄で向かうのだという。畝傍駅を最後に使ったのは現在の上皇陛下、上皇后陛下のご成婚を報告した時らしい。つまり60年前である。

現在は無人駅である。貴賓室を備えた駅の末路としては寂しいが、出雲大社に向かう大社線、大社駅が廃線となってもうないことを考えればいくらかましである。

今は線路が二本だが、昔は三本あったようだ。おそらくどれかはお召し列車用だろう。

三輪駅で降り、大神神社に向かう。「おおかみ」でも「おおがみ」でもない。「おおみわ」神社である。御神体三輪山で、原始的な信仰の形を今にとどめる。なお、諏訪大社も守屋山が御神体である。

ここにも三輪小学校があるらしい。それもそのはず、長野市の美和神社は大神神社と同じく大物主神を祀っている。ただし最寄駅の名は「本郷」である。

三輪駅も大神神社の参拝者を受け入れる大きな駅だった。その痕跡が今は使われない検札口に表れている。祭の期間中というのに駅にはボランティアのおじさんしかいないし(通常は無人駅)、ここが使われることはもうなかろう。

三輪駅の隣の駅は巻向。まきむくとよむ。纏向遺跡の纏向で、車窓からは箸墓古墳が見えた。ここが邪馬台国かもしれない。「邪馬台国」「卑弥呼」は魏の人が音を文字に表しただけであって、当時の日本でこの表記だったわけではない。「やまたいこく」は「やまとこく」、「ひみこ」は「ひめみこ」とすればヤマト政権の前身として大和にあった可能性が高い。邪馬台国論争にあまり詳しくはないし、昔の発音もよくわからないけれど。

帰ります。とりあえず、これで一気に浜松まで行く。浜松で浜松餃子を食べて帰る。今日中には帰れるだろう。

道中の感想は①と被るので書かない。豊橋駅で「あん巻き」を買った。推奨消費期限は当日らしいので、現地で食べるのが一番いいだろう。カスタード、栗、抹茶などいろいろな味がある。どら焼き生地で巻いてあるのかと思ったが、卵を使っていなかった。

浜松で浜松餃子を食べた。

学習のためとはいえ、山寺にわざわざ登ったり、高い拝観料を払ったり、真言までしっかり唱えたりと、「敬虔な信者ムーブ」をしたものだと思う。この旅行で得たご加護で今後何かいいことがありますように。

明日は東進の東大合格祝勝会に運営として参加。渋谷のセルリアンタワーで行われる。対面実施は筆者が合格した年以来となる。