3/6 長野〜上田〜軽井沢〜横川

同窓会楽しかった。

帰省。行きは3/33/4の2日をかけて中央線沿いを観光した。帰りは新幹線を使っても良いのだが、折角なので東信を見て帰ることにした。帰省に一切新幹線を使用しないのは初の試みである。

※この2つの記事、たぶんそれぞれ30人くらいに見られてますね、おそらくこの記事も見ていただいていると思うのでお礼言っときます、ありがとうございます。

①上田

しなの鉄道に乗ってまず向かったのは上田である。上田城が有名だが、今回の目的はそれよりも、別所線と北向観音安楽寺である。

とはいえ、別所線が発車するまでの間に上田城もささっと見てきた。写真は、上田城の堀を通っていた上田電鉄真田傍陽線の「公会堂下駅」跡地である。

かつて繁栄を誇った上田電鉄の最後の生き残りが、別所線である。数年前の豪雨で上田ー城下間の橋が落ちたが、「乗って残そう」などの運動が盛んで地元に愛されているらしく、なんとか復興して今も運行している。松本電鉄上高地線と同様、沿線に大学(長野大学)を抱えており、通学客が大きな収入源であろう。

https://toyokeizai.net/articles/-/420829?page=4

これが終着、別所温泉駅である。

「信州の鎌倉」という売り文句があった。初めて聞いた。どこが「信州の鎌倉」なのかはおいおい述べよう。

別所温泉はもちろん温泉地であるが、寺院も有名である。まず北向観音。少し離れた常楽寺という寺に属する一堂である。その名の如く本堂が北を向いている。これは全国的にも珍しい。

歴史的にあまり両者の関連はないが、本堂が南向きの長野市善光寺としばしばセットで理解され、「善光寺だけでは片参り」と言われる。江戸時代、北国街道を通って善光寺に参る客を別所温泉に誘い込む(寄り道)ための謳い文句といったところだろうか。

善光寺だけでは片参り」という文句は飯田市の「元善光寺」も使っているが、これは実際に善光寺の前身のようなものなのでその通りである。

ただ、「善光寺の本尊が安置されたことがあるところ」と抽象化してしまうと、3/3に寄った甲斐善光寺や岐阜善光寺、諏訪の善光寺や京都の方広寺、奈良の向原寺も含まれてしまうので悩ましいところである。

次に安楽寺である。安楽寺の初代は入宋した僧で、二代目は宋から来た中国人の僧侶。鎌倉時代は北条氏の保護を受けて禅寺として発展していた。建長寺と並び称されるような寺であったという。そして鎌倉時代に活躍した臨済宗の禅僧、蘭渓道隆との関わりが深いというのだから驚きである。かの国宝、安楽寺八角三重塔が有名。貴重な禅宗建築であり、こうした繁栄の産物である。

さて、別所温泉駅はだいたい以上である。「信州の鎌倉」というのはおそらく安楽寺のみのことを指しているのだろう。いささか誇大広告ではないかと思うが、昔のマーケティングとしては効果がありそうな気がする。もう二度と来るかわからない地で「信州の鎌倉」だの「善光寺だけでは片参り」だのと言われたら心を動かされる江戸っ子は少なくないだろう。だからこそ、山奥の別所温泉が一定の知名度を伴ってここまで残っているのだと思う。

②軽井沢

上田からしなの鉄道に乗車し小諸で下車、軽井沢行きに乗り換える。軽井沢といえば何を思い浮かべるだろうか。アウトレット?旧軽井沢?ソーセージ?テニス?

私は旧信越本線である長野新幹線が開通する前、「高崎ー安中榛名ー軽井沢」にあたるルートは「高崎ー横川ー軽井沢」であった。これは要は中山道ルートであり、明治時代、東海道ルートを抑えて東京ー京都間を結ぶ幹線として構想された。

しかし碓氷峠越えは鉄道にとって大変な苦難であり、その克服のためにさまざまな政治家、技術者が頭を悩ませてきた。結果東海道ルートに中心は移ったが信越本線も繁栄した。

信越本線長野新幹線開通と同時に①横川ー軽井沢間を廃止、②軽井沢ー篠ノ井間を第三セクターに移管して大きくその姿を変え、金沢延伸によって③長野ー直江津間も第三セクター化、見る影もなくなってしまった。現在の軽井沢駅には、かつて大きな駅であったことを偲ばせる遺跡が残っている。

軽井沢駅北口から出ている「JRバス」に乗車し、横川駅に向かった。

③横川

高崎から出ている「信越本線」の終点が横川駅である。(出典:路線図:JR東日本 (jreast.co.jp))これだけ見れば、通勤通学のための地域密着型路線に見える。現状はたしかにそうだが、歴史的経緯をみるとそれは正しくない。群馬しか走らないにも関わらず名前に「信越」が含まれ、「本線」という位置づけも与えられている。

これは軽井沢で説明したように、「高崎ー横川ー軽井沢」を結び、直江津まで繋がっていた「信越本線」の名残だからである。「峠の釜めし」で有名なのも横川駅であるが、こんな地方の終着駅の駅弁が日本有数の有名駅弁なのは、信越本線が栄えていた時代の影響である。

軽井沢はあまり整備されていないが、横川の方は鉄道遺産を残そうという意識が強く、「鉄道文化むら」が営業していたり、廃線跡を利用した遊歩道「アプトの道」が整備されている。

横川駅すぐの「おぎのや本店」では釜めし定食を食すことができる。1500円。もちろん1200円で釜めしのみの持ち帰りも可能である。

高崎からは上野東京ライングリーン車課金をした。グリーン車にコンセントがないのは「特急でもないのにコンセントなど烏滸がましいわ!」というJRの差別意識かと思っていたが、電車の製造年代が古く、コンセントの需要がなかったらしい。それにしてはきれいだと思う。