3/4 松本電鉄、姨捨

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信州健康ランドで英気を養い、2日目の旅に出た。

今日の目的は3つ。松本電鉄松本市街、姨捨駅である。

松本電鉄

松本電鉄上高地線アルピコ交通が運営する私鉄である。アルピコといえば、長電バスと並ぶ修学旅行の定番、アルピコバスであろう。旅行のバスがアルピコだと、なぜかテンションが上がったものだった。

松本電鉄上高地線は松本〜新島々を30分程度で結ぶ。松本駅のホームは7番線で、大糸線と共に篠ノ井ー松本ー塩尻の主要路線とは隔離されている。

ワンマン運転で、整理券方式である。身延線と同じ。

駅はかなり小刻みで、ほぼ無人駅。車内に人も全然いないので心配になったが、途中に「北新・松本大学前」駅がある。平日は松本大生が利用しているのだろう。

30分ほどで新島々駅に着いた。新島々駅で降りたのは筆者を含めて2人である。新島々は上高地方面の入り口で、ここからバスが出ている。つまり新島々は楽しいレジャーの始まりなのだが、筆者はここが旅の終わりである。

松本駅に折り返す電車が出るまで15分ほどあるので、付近を散策していると何やら流れの速い川と巨大な建物があった。昭和電工の赤松発電所らしい。昭和電工といえば、芦田均内閣が倒れた昭和電工事件が思い出される。

松本市

かなり久しぶりに松本市街の散策をする。松本市長野市に次ぐ県下2番目の都市である。長野と松本は長年ライバル関係にあると言われている。

長野市のカードとしては、

あたりである。対して松本市のカードとしては、

あたりであろう。県庁所在地については、1871年、筑摩県と長野県があり、それぞれの県庁は松本、長野におかれた。1876年には長野県が現在の形になり、県庁も長野市に置かれるが、松本市は県庁の松本移設をゴネ主張し続けたのである。筑摩県は長野県に比べて相当大きかった。しかし結局その要求は容れられなかった。歴史的経緯を見れば、松本市が一方的に長野市をライバル視しているのであって、長野市松本市をライバル視しているかというと別にそんなことはない。

松本市街に出る。といっても縄手通りと松本城とパルコくらいのものである。

まずは、時計博物館に向かった。

寄贈された個人のコレクションを展示している市立博物館。驚くことにすべて動き、1時間毎に各時計の鐘が(鳴る仕様のものは)鳴るのである。これからも松本に来た時は寄れるよう、アンケートに記入した(来館者の声は、存続の危機に瀕した時に存続意義を訴えるエビデンスになる)。

続いて、洋食屋「おきな堂」に向かう。連続テレビ小説にでも出てきそうな雰囲気の店で、コーヒーとプリンのセットを頼んだ。よくある固いプリンを想像していたが、この見た目だった。しかし見た目に反してけっこう固く、とても美味しかった。

ところで松本は水の町でもあり、各地で水がわき、水路が多い。

水質もかなりのもので、巨大なニジマスが泳いでいた。

普通列車姨捨に向かう。今日はJRでの移動距離が短いので18きっぷは使わない。

姨捨

次は姨捨駅に向かう。姨捨駅は日本三代車窓と呼ばれる駅で、スイッチバックという点から鉄道面でも有名である。姨捨の語源は、昔話の「うばすて山」である。「大和物語」や「今昔物語」に見えるらしいが、この時代の「殿様」というのは何だろうか。隣国との戦が仄めかされているから国司ではなく、土着した武士かもしれない。

車窓はさすが絶景である。ただ問題は時間だ。次の電車まで1時間10分もあるが、近くに観光地もないので待合室で時間をつぶすのだった……。

 

同窓会いってきます。