3/3 中央線 東京〜村井

3/4に同窓会がある。中学の水泳部の同窓会で、13人中10人が出席予定だ。中学の同窓会としては破格の出席率で喜ばしい。

もちろん長野で開催されるため、帰省しなくてはならないのだが新幹線はやはり高い。3月といえばなんの月か。そう、青春18きっぷの月である。ならばと、青春18きっぷで帰省することにした。

青春18きっぷ

ここで青春18きっぷについてよく知らない方々向けの説明を付す。青春18きっぷとは、1年で特定の期間のみ発売されるきっぷであり、5日分で12050円である(2023春)。つまり1日2400円。そして何が1日2400円なのかというと、JR全線が1日乗り放題で2400円なのである。途中下車もし放題である。

とはいえ、もちろん特急に乗れるわけでない。特急や新幹線に乗る場合には、別途乗車券と特急券が必要で、18きっぷの役得は一切受けない。あくまで普通列車、快速列車が対象なのである(〇〇〇〇ラインのグリーン車は乗れる)。

(各地方の細かい実情に応じた例外規定はさまざまあるので、それは各自参照されたい。)

Googleにて「青春18きっぷ」と検索すると候補に「やばい」「やめとけ」などと出てくるが、これはそういった事情である。「お金を使っていいから、なるべく早く目的地に着きたい!」という人は避けた方がよいきっぷなのは確かである。

一方、このような方々には青春18きっぷを強くお勧めしたい。

  • とにかく安く済ませたい

  • 訪問したいスポットがばらばらかつJR沿線で、途中下車が多い

  • 長時間乗車が苦ではない

  • 自分の時間には特急券に見合うだけの価値がないと思っている

なお、青春18きっぷという名称だが、18歳の時に青春を経験していなくても購入することはできる。でなければ私はこのきっぷを買えていない。

旅程

本日の予定は以下の通り。前回、高尾ー長野直通列車に乗ったが、今回は途中下車可能なのでそんなことはしない。

勝沼ぶどう郷駅勝沼駅跡を見学

酒折駅甲斐善光寺を見学

甲府駅甲府城を見学

岡谷駅で高2の県大会で宿泊したホテル、「ホテル岡谷」を見物

⑤村井駅で高3の県大会で宿泊したホテル、「信州健康ランド」に宿泊

勝沼ぶどう郷駅

勝沼ぶどう郷駅は、「特急あずさ」に乗っていると一際目を引く、風光明媚な駅である。

しかし私が着目したのはそこではない。駅の脇に、ホーム跡が見えるのだ。廃線オタクたる私は、それを目的に下車するのである。

早速、明らかに単線用の列車橋の上に人間用の橋を拵えた遊歩道が出てきた。ホームは次のようであった。

昔は勝沼駅といったらしく、スイッチバックだったらしい。それが複線化に伴い現在の駅になったようだ。

さて、青春18きっぷは途中下車し放題といったが、それは理念上の話であり、ダイヤという現実的な問題とは不可分の関係にある。私はこのホーム跡しかない駅で、1時間過ごすことを余儀なくされたのであった。

酒折駅善光寺駅

善光寺駅」はどこにあるかおわかりだろうか。長野県?いいえ。善光寺下駅はあるが善光寺駅はない。

答えは、山梨県である。身延線甲府から2駅の無人駅が「善光寺駅」だ。

なぜ山梨に善光寺駅があるのか?それは、山梨に善光寺があるからである。善光寺如来というのは生きている仏だと言われ、聖徳太子、鎌倉仏教の開祖たちや源頼朝などから崇敬され、保護を受けてきた。『詳説日本史』にて、室町時代の「門前町」の例として「伊勢神宮の伊勢山田」と並び称されるのが「善光寺の長野」であった。

そんな善光寺如来信濃の外に持ち出したのが、武田信玄である。川中島の合戦の折、甲斐に持ち帰ってしまった。単なる簒奪ではなく戦火から守る、という名目もあったのだろうが、簒奪的な側面も否定しきれまい。

その後如来織田信長徳川家康豊臣秀吉と渡り、秀吉の病は善光寺如来の怒りだとの噂が広まったことでやっと信濃に戻る。

そして武田信玄善光寺如来を安置した場所に、盗んだお連れした善光寺の前立本尊を本尊として成ったのが、甲斐善光寺である。

そしてこの先代前立本尊(現甲斐善光寺本尊)、非常に大きいのである。平安時代の作で、等身大である。よくある「山越阿弥陀図」のように、阿弥陀如来の大きさは可変性なので、あるいは作者の夢に現れた時に等身大だったのかもしれないが、当時の状況を踏まえて歴史学的に解釈するとするならば、増加する参拝者にとって見やすいように巨大な前立本尊を拵えた、という説明もできるであろう。

前置きが頗る長くなってしまったが、探訪記に入ろう。まずこの善光寺、本家に負けず劣らず巨大である。

中も相当広く、外陣、内陣、内々陣に分かれていた。内々陣の右側には甲斐善光寺開祖の像、中央には本尊、左には聖徳太子がつくったという燈篭仏が安置されていた(秘仏)。

また、この善光寺にも戒壇巡りが存在する。本家以外の戒壇巡りに言えることだが、参拝客が少ないので1人だけ暗闇に放り出されることになり、かなり恐ろしい。

甲斐善光寺には宝物館もあり、「源頼朝像」が安置されている。これは元々信濃善光寺にあったもので、武田信玄が本尊とともに運んだ寺宝の1つらしい。有名な源頼朝の肖像が「伝源頼朝像」から「おそらく足利直義像」になったのは記憶に新しいが、その代わりに源頼朝の肖像を伝えるものとして教科書に載るようになったのがこれである(らしい。新聞記事の切り抜きが貼られていた)。頼朝は善光寺に寄進していたから、善光寺にある「頼朝像」は本当に頼朝像である可能性が高い、というロジックである。

善光寺駅身延線に乗り、甲府に向かう。

甲府駅

乗った電車が甲府行きで、次の小淵沢行きが甲府駅を発車するまで時間があったので、甲府駅で下車した。甲府駅を見ると、線路の両脇に城跡らしきものがあった。二枚目の写真にみえるように、城跡を横断して中央線を敷設したらしい。平城宮近鉄がぶった切っているのと違い、これは明らかに城跡と知りながら線路を敷いている。江戸時代は幕領だったので、政府による嫌がらせだろうか。(中央線が甲府に達したのは1903年6月。)

本丸方面に行って見たが、「鉄門」というのがあった。東大生にとって鉄門とは、理科3類の別名である。「鉄門をくぐる」というのは理3受験生にとって縁起が良さそうなので、山梨県や中南信の理3受験生にはぜひともお勧めしたいところである。

天守台には、明治天皇行幸記念碑が建っていた。天皇は国制上では一機関にすぎないが、同時に「年齢、性別、賢愚等々によって制約された」「自然人」(石母田『日本の古代国家』p304)としての天皇という側面も併せ持っているのである。天皇が地方に向かえば「御幸」の名がついた地名などがついてしまう。御幸町 - Wikipedia

岡谷駅

完全に内輪ネタだが、高2の時の水泳県大会は諏訪市で行われ、宿は「ホテル岡谷」という宿であった。これがなかなか古いホテルだった。久しぶりに見に行ってみたが、「コロナ対策」との名目で2020年から3年間休業しているらしい。事実上の廃業な気もする。悲しい。

全く関係ないが、岡谷の高速道路はかなり高い。

⑤村井駅

これも内輪ネタ。高3の時の水泳県大会は塩尻で行われ、「信州健康ランド」に宿泊した。今日の宿でもある。私は以前宿泊した宿や以前行った場所に、「懐かしいな!」などと思いながら訪れるのが好きである。

さらに、「健康ランド」というだけあって風呂が充実している。最近なんだかんだ心身ともに疲れているので、リフレッシュするための宿泊でもある。思えば、一人旅の宿はずっと快活なので、ちゃんとした宿を取るのは3年半ぶりである。

明日は松本電鉄に乗り、姨捨駅で下車し、同窓会に向かう。