高尾ー長野直通列車

設立の趣旨 

 学科同期や部活同期がブログをやっているのを見て楽しそうだな〜、と思いつつ、なんとなくめんどくさいので構想のままにしていた。事実、昔個人でnoteをやっていたが数本の記事を更新したきりで放置している。それでもブログにリベンジしたくなったのは、部活を無事引退して幾許かの時間ができたことが第一であり、第二の理由としては、寝転がってYouTubeを見ている時間を駄文執筆の時間に充てられたら少しはましだろうという些かな向上心の現れである。

 では駄文執筆によって何が得られるのか。論文集には「あとがき」というものがある。最後に自分語りをしたり周りの人々に感謝する部分であるが、読み手にとってもそこはオアシスである。難解な本編にお手上げになった時は、著者の生い立ちや怠惰なエピソード、日本史学会のレジェンドに指導してもらった話などを見て頭を休め、また本編に挑むのである。こうした機能を果たす場であるから、あとがきが面白い著者はそれだけで個人的には好印象である。論文を執筆することと、「あとがき」を執筆することは異なる能力が要求される。たぶん。筆者もいずれ論文集なるものを書き、あとがきを書いてみたいと思う一学生であるが、文章(特に少し砕けた、面白みのある文章)が壊滅的に下手である。先日、長野高校生に配られる『金鵄』を手に取り、なんとなく自分の執筆部分を読んでみたところ、寒すぎて読むに堪えず、数行で読むのをやめてしまった。筆者自身が面白くないという根本的問題はあろうが、訓練すれば多少は改善が見られるかもしれない。日本史以外のことを執筆し、来たるべき日に面白い「あとがき」が書けるように訓練したい、というのが本ブログの趣旨である。もちろん論文集が出さなければ元も子もないので、本業を頑張ることは申し添えておく。

本編

 2023年に突入したとき、筆者は東京にいた。1/4、5に迫る卒業論文提出に備えるためである。年越しに帰省しないのは、3年連続であった(コロナ流行のためー成人式のためー卒論のため)。

 醤油ちゃんこに餅となるとを浮かべただけの雑煮で三食を賄い、正月のお笑い特番で適宜休憩を挟みながら卒論執筆と院試勉強を交互に行っていた。

 無事卒論を提出したところで、やっと帰省である。ところが、その移動手段に1つ問題があった。北陸新幹線で長野に行くためには、東京在住ならば東京、上野、大宮のどれかから乗車するが、大宮と上野の間には実に1000円近い差がある。ならば大宮から乗りたいものである。しかし、この年始の繁忙期、大宮から乗って席がある可能性は低い。指定席にするにしても、指定席代で浮かした1000円はパアである。

 だったら、新幹線を使わなければよいではないか。高尾から甲府、諏訪、松本を経由して長野に至るルートである。このルートは高校の卒業旅行でも経験しており、特に抵抗はなかった。今回の帰省の往路は在来線を乗り継ぐことに決めた。しかし、乗り換えは面倒なのでしたくない。いろいろ調べたところ、14:09高尾発の長野行なるものがあり、即座にこれに決めた。

 14:09高尾発に乗るために少し余裕を持って高尾に着くには、12:49東京発高尾行の中央特快に乗る必要がありそうだ。色々と逆算して、11:30ころに家を出ることにした。

 東京駅に着いたのは12:20ころだった。ここで昼食を摂らないと悲惨な旅路になってしまうが、いかんせん昼時の東京駅である。飲食店という飲食店に行列ができている。駅弁を買うにしても、当該列車はロングシートの場合もあるようで、それを考えると憚られた。結局、普段なら絶対に買わないような1つ300円ほどの惣菜パンを2つ買い、イートインコーナーで食べた。

 中央線は相変わらずの混雑であったが、人の流れを見ていると面白い。まず新宿でほとんどが入れ替わる。中野、三鷹国分寺はまあまあで、立川、八王子でほとんどが降りた。それでも乗車率50%はあったので、これが全員長野行きに乗るのかと思って少し急いだが、そんなことはなかった。よく考えてみれば高尾には高尾山という行楽スポットがあった。その客が多かったのだろう。高尾行きたいなら京王線の方が安いのに

 高架を渡って長野行が入線する予定のホームに着くと、ちょうど、これから5時間ほどお世話になる列車が入ってきたところだった。座席を見ると、ロングシートであった。高尾ー長野を通しで乗る異常者のことは想定されていないらしい。ボックスシートならば早めに確保するところだが、ロングシートは隣人ガチャがあるのみで席自体はどこでも同じなので、一目でこの電車の凄さがわかる構図を探して撮った。

 この列車には番号とか、歴史とかがあるらしいが、そういうことを調べるのを自分に課すようになるとまた更新が止まるので調べないことにした。

14:09 高尾駅発。

 乗車率は50%くらい。日差しが暖かく、『類聚三代格』の読解が進んだ。車掌さんの声が良い。イケボという感じではなく、落ち着く低い声である。

15:04 甲斐大和駅着。

 引用関係が複雑な官符が登場して古代人に腹を立てていたところであった。中世の文書を少しは見習えばいい。無理だけど。特急列車待ちということで8分間停車した。

15:17 勝沼ぶどう郷駅着。

 眺めがいいのと、進行方向左側に謎の廃線跡が見えることからいつも楽しみな駅である。調べてみると、昔は姨捨駅のようにスイッチバック駅だったようである。筆者は廃線が好きなので、今度18きっぷで乗車した時に降りてみることに決めた。自分の興味の対象について、「すでに今は無いもの」と抽象化できるかもしれないなと思った。

15:42 甲府駅着。

 かなり人が乗ってきた。なお、甲府駅で乗り換えられる身延線の2駅目には「善光寺」駅がある。これは甲斐善光寺の最寄駅である。善光寺と名のつく寺院は日本に数多あるが、甲斐善光寺はその中でも特別な寺院のうちの1つである。甲斐善光寺を特別たらしめているのは、善光寺の本尊がその地に安置されていたことがあるという事実である。川中島の合戦の折、武田信玄善光寺の本尊をはじめとする宝物数点を甲斐に持ち帰り、安置した。甲斐善光寺の由来である。その後織田信長豊臣秀吉の手に渡り、最終的に信濃に戻った。善光寺は意外と歴史上の有名人と関わりがあるのである。

※こんなことを書いていたら1/9「帰れマンデー」の企画で善光寺への路線バスの旅をやっていて、このことが扱われていた。

 確かここで乗務員交代。良い声の車掌さんともここでお別れである。しかし乗務員も交代するとなると、本当にこの6両で全区間乗るのは自分だけかもしれない。

16:00 新府駅着。

 『真田丸』で昌幸が作っていた城だなぁ。

16:03 穴山駅着。

 穴山梅雪だなぁ。

16:29 信濃境駅着。

 その名の如く、山梨と長野の県境で、偶然にも、時間的にここが折り返し地点である。意外と楽勝じゃんと思ってしまったが、そんなことはなかった。なお、なぜか長野県に入ってから積雪を見るようになった。気候とかが関係してるのかな。甲府市が県庁所在地別の日照時間一位だった気がするが、こんなに顕著に出るものか。

17:02 岡谷駅着。

 暗くなってきた。たしか、高校2年次の県大会で泊まったホテルが岡谷駅の近くにあった気がする。かなり古いホテルだったが、おそらく弱小校だったからで、強豪校はいいホテルに泊まっていたらしい。

 なお、平日なので、このあたりから中高生が乗ったり降りたりしていた。平日から高尾ー長野間乗破などという暇人極まりないことをやっている筆者は、もう無用となった大きい体をなるべく小さくして、伊藤俊一『荘園』を読み始めるのであった。

17:27 南松本着。

 駅から少し歩くと、高校時代思い出の味、つけ蕎麦「尚念」さんがある。長野に支店出してくれないかなぁ。

17:31 松本着。

 そろそろ扉から入ってくる風が寒くなってきた。松本ー長野間は、時間にして1時間20分である。これまで乗ってきた時間の長さを思えば短く見えるが、疲れと寒さから、永遠にも思える時間だった。松本駅では少し長い時間停車する。乗客はほとんど入れ替わった。

18:16 姨捨着。

 夜景がとても綺麗だったが、山側のドアが開いたため下車もせず、特に写真等は撮らなかった。電車内から夜景を撮ることも可能であったが、あまりに車内が静かだったので、小心者ゆえその勇気が湧かなかった。

 斜面を降りて本線に戻った後、特急列車の通過待ちをするとのアナウンスがあった。単線でどうやって待つのかなと思ったら、再び進行方向とは逆に動いて引き込み線に入った。こんなところがあったんだと驚いた。筆者は廃線も好きだが、何に使われているのかよくわからない脇の線路も好きである。

18:53 長野着。

 長かった。高尾ー長野の所要時間は4時間44分。高尾に至るまでの乗車時間も含めれば、6時間ぴったりくらい電車に乗っていた。東海道新幹線東京ー博多の所要時間が5時間であることと比べると、なかなかのものである。

 次からの帰省は、東京から新幹線に乗るか大宮からの指定席券を購入するだろう。某学科同期のように、経験としてグランクラスに課金しても良い。そんな実験的帰省方法であった。

 暇を見て更新します。